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世界有数の金融機関であるスイスのUBSが、サブプライムローン(米国の信用力の低い個人向け住宅融資)関連で巨額の損失をこうむり、マルセル・オスペル会長が近く引責辞任する。  メディアはサブプライムローン問題のひとつとしてこのニュースを取り上げているが、元長銀マンの筆者には特別の感慨がある。「UBSにとって3度目の失敗じゃないか。なぜあのオスペル会長が」という思いだ。  同時に、今も膨張を続ける新しい金融リスクが、人間の管理能力を超え始め、制御不能の領域に突入したのではないかという漠然たる不安にかられる。 UBS3度目の蹉跌(さてつ)が語ること  昨年9月のコラムで指摘したとおり、サブプライムローン問題は世界中に金融危機を引き起こした(第83回)。FRB議長交代直後は世界経済が混乱する可能性が高いという、不吉な予感も的中した(第66回)。  基軸通貨国でありながら双子の赤字を垂れ流し、金融業偏重の産業構造で不健全な経済成長を続けるアメリカ発の時限爆弾は、必ずいつか爆発する。問題はその時期と現れ方だけだ。  今回のサブプライムローン問題はその一環だが、仮に世界の金融界がこの難局を乗り切ったとしても、アメリカ自身の根源問題を解決しない限り、いずれさらに大きな嵐が襲ってくるに違いない。  筆者がUBSに特別の関心を持つのは、1998年当時、外貨預金 である長銀の経営提携先であったにもかかわらず、長銀株を売り浴びせて破綻に追い込んだ相手という、苦い記憶のせいもある。だが、それ以上に、今回のUBSの失敗が、現在世界の金融界が内包するリスクを凝縮しているように思えてならないからだ。 瀕死のローカル銀行を世界トップに躍進させた立役者  UBSの母体は旧スイス銀行(SBC)だ。SBCは80年代まで小国スイスでも3番手のローカルな銀行だった。しかも80年代末にはヨーロッパの不動産バブル崩壊のあおりで巨額の不良債権を抱えて青息吐息状態となる。  当時のジョージ・投資信託 は、起死回生策として国際業務への本格進出を英断し、87年、メリルリンチに転職していたオスペルを銀行に呼び戻し、国際業務の全権を委譲した。オスペルはそれまで国際業務の中心であった融資業務から撤退し、投資銀行業務と資産運用業務の2つの分野に絞り込んで猛進する。  そのための基本戦略が買収だ。91年にシカゴのデリバティブ専門会社オコーナー&アソシエーツを皮切りに、94年アメリカの資産運用会社ブリンソン、95年イギリスの投資銀行SGウォーバーグと立て続けに買収した。 巨額損失発生で引責辞任するオスペル会長(2月27日のUBS臨時株主総会、ロイター)  そして96年にブルーム会長からバトンを受けたオスペル会長は、翌97年10月、スイス最大の銀行であるスイス・ユニオン銀行(旧UBS)を買収するという離れ業を演じた(合併後社名を新UBSに変更)。  「小が大を呑(の)む」形の買収である。日本では長銀との提携交渉が山場を迎えていたころの話だ。  オスペル会長は、さらに2000年に米国プライベートバンキング(個人富裕層向け資産運用業務)の雄であった証券会社ペインウェバーを買収した。この結果、UBS(旧SBC)は投資銀行、アセット・マネジメント、プライベートバンキングという国際業務3本柱のうち投資銀行業務を除く2業務で世界No.1の椅子を勝ち取った。  わずか10年間で小国のローカル銀行から世界トップクラスの金融機関に躍り出たわけだが、その立役者は間違いなくオスペル会長だ。  当時の長銀マンは、長銀株を売り浴びせたUBSを「裏切り者」と慷慨(こうがい)していたが、筆者はこうしたUBSのドラステッィクな改革を知ったとき、それが「ごまめの歯軋(はぎし)り」であることを痛感した。

一方で、オスペル会長の真の勝因は買収による規模や機能の拡大にあるのではなく、買収を通じた企業風土の改革にあることも理解した。  オスペル会長は最初の案件であるデリバティブ会社オコーナーを商品先物取引 した後、オコーナーの若い幹部をデリバティブ部門はもちろん、情報システムやリスク管理など主要部門長に登用し、オコーナーの若い経営者たちもUBS本体の経営陣に取り込んだ。  「オコーナーの文化を7割、SBC(当時)の文化を3割」というのが、当時のオスペル会長のキャッチフレーズであり、まさに「文化大革命」を引き起こしたのである。  その後の買収でも同様に買収先の文化や人材を積極的に取り込むことによって、UBSは短期間で「スイスの銀行」から「アメリカの金融機関」に生まれ変わった(もちろん今でも本社はスイス)。現在UBSの従業員8万3500人のうち、最もメジャーは3万1900人のアメリカ人であり、スイス人は2万7800人と全体の3分の1でしかない。  筆者は、いつまでも不良債権問題から脱却できず、目くらましの大再編に狂奔していた当時の日本の大銀行と比較して深く嘆息すると同時に、オスペル会長に強い憧憬を抱いた。  それだけに、今回のUBSの失敗とオスペル会長の引責辞任は、筆者にとってある種の衝撃だ。特にオスペル会長は、トレーディング業務について世界で最も高度なリスク管理体制を構築していたと確信していただけになおさらだ。 リスクとの遭遇、最初は敵失  オスペル会長はこれまですでに2回もトレーディング業務の恐怖をCFD し、そのつどリスク管理体制を強化してきたはずだった。  オスペル会長が最初に巨大な市場リスクに遭遇したのは、当時合併交渉の相手方だったスイス・ユニオン銀行(旧UBS)の失敗だ。  旧UBSは、オスペル会長のSBCとの合併交渉最中の97年、イギリスの配当課税改定と邦銀株の急落を契機に株式の長期オプションで6億1700万スイスフラン(当時の換算レートで約550億円)もの大穴を開けた。デリバティブ部門のヘッドであるラミー・ゴールドシュタインという「スーパースター」の暴走に歯止めをかけられなかったことが最大要因だった。  旧UBSは、結局この巨額損失をカバーするためSBCの軍門に下ったわけだが、すでにオコーナーのリスク管理ノウハウを導入済みのオスペル会長は「わが社に比べてリスク管理が杜撰(ずさん)だ」とほくそ笑んだに違いない。  だが、その直後、オスペル会長は2度目の不動産投資 に遭遇する。 泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)ったLTCM危機  新生UBS誕生直後の98年夏、アジア経済危機とロシア経済破綻を契機にアメリカの投資ファンド、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が資金難に陥り、同ファンドに多額の投資をしていたUBSは突如金融危機に襲われた。  それまで一本調子で上げてきたUBSの株価はわずか1カ月で半値以下に急落し、損失額は9億5000億スイスフラン(当時の換算レートで約850億円)に達した。今度はオスペル会長が青ざめる番だった。LTCMに関与する金融機関としては最大規模の損失であり、UBSのリスク管理の欠陥が批判された。  オスペル会長は、ただちに内部調査を命じ、リスク管理上の失敗を指摘されるや、間髪入れず関係者全員のクビを切った。リスク管理部長のフェリックス・フィッシャー、投資部門長のヴェルナー・ボナデューアー、UBSウォーバーグ債券部門長のアンドリュー・シチリアーノの3人を断頭台に送ったのだ。  だが、皮肉にもフィッシャーとシチリアーノはオスペルが91年に買収したオコーナーから登用し、以後片腕として重用してきた「自慢の人材」だった。  オスペル会長は、このとき株主に原因分析など詳細なレポートを送る一方で、世界でも最先端といわれる高度なリスク管理体制を構築した。筆者は、このときもこの迅速で厳格な対応に共鳴したものだ。

 だが、それからちょうど10年たった今、オスペル会長はサブプライムローンに脳幹を直撃されている。  昨年末からのサブプライムローン関連の損失は374億ドル(約3兆7400億円)というメガトン級だ。UBSの自己資本(Tier1)である328億スイスフラン(約328億ドル)が吹き飛ぶほどの衝撃であり、株価も60ドル台から25ドルへと急落した。  LTCMショックの時は、部下のクビを切ると同時に、買収した旧UBSの潤沢な資本を使って危機を脱したオスペル会長も、今回は指弾する部下もいなければ、毀損(きそん)した資本を埋める財源も持ち合わせていない。自分自身が責任を取り、中東のファンドや欧米の投資銀行に頭を下げて増資を要請するしかなかったのである。  しかも、今回は決算報告書やニュースレターに損失発生の詳細分析や責任所在についてのコメントが見当たらない。オスペル会長の辞任についても、「来る4月23日の株主総会時では再任の提案をしない」というあいまいな書きぶりだ。  筆者は、かえってそこにオスペル会長の受けた衝撃の大きさを感じる。世界の金融界の中で最も金融リスクを知悉(ちしつ)していたはずの男が、今度こそその恐怖の本性を見て茫然自失している姿が目に浮かぶのだ。 再びはまった金融リスクの「罠」はメガトン級  オスペル会長がUBS時代に遭遇した3度の金融リスクは、その中身も規模も時代とともに複雑化、巨大化してきた。  彼が最初に遭遇した97年の旧UBSによる株式オプションの損失は、株式オプションの期間が5年と長すぎたことと、オプションの対象であった邦銀転換社債の転換価格が変則的でリスクをヘッジできなかったことが最大要因だ。いわば単純なデリバティブの失敗であり、リスク管理が甘かったことは明白だった。オスペル会長が合併相手の大失策をほくそ笑んだのも無理はない。  だが、98年に遭遇したLTCM事件のリスクは「未知との遭遇」だった。LTCMは「デリバティブ産みの親」ともいうべきノーベル経済学者マイロン・ショールズとロバート・マートンを役員にすえ、彼らの作ったプログラムを使って投資活動していたにもかかわらず突然破綻した。  ロシア危機を契機に「米国債とジャンク債の利回り格差が拡大すれば必ず戻る」という彼らのデリバティブ理論があっという間に崩壊したからだ。市場が急速に縮小し、保有債券の売却すらできなくなるという流動性の問題もまったくの想定外だった。  UBSはヘッジファンドのスーパースターであったLTCMをまねして自分でも同パターンのデリバティブを張っていたうえ、LTCMに資金供給も行っていたので被害は甚大だった。  このLTCM事件でオスペル会長は、金融リスクには確率理論だけでは制御できない「罠」があることを痛感したはずだ。  そして、彼が3度目に遭遇した今回のサブプライムローンの「罠」は、その数倍も複雑で大規模なメガトン級爆弾だった。

しかし、問題の本源は原債権であるサブプライムローン(住宅ローン)の信用力を誰ひとり適切に見ていなかったというきわめて単純なところにある。  その背景には、詐欺的な住宅ローンを強引に貸し込んだ銀行、投機目的で住宅ローンを借りまくった個人投資家、形式審査だけで格付けした格付け機関、ババ抜きゲームのように証券化商品を売りぬいて手数料を稼いだ投資銀行、格付けだけを信じて投機的投資に走った機関投資家など、拝金主義的モラルハザードが横たわっている。  トレーディング業務にとって商品の格付けはすべての取引の大前提だが、その格付けが杜撰な上、その商品が証券化やデリバティブなどの新金融技術によって世界中に拡散したのだから、リスクが爆発的に自己増殖するのも当然だ。  「末粉」と呼ばれる質の悪い小麦粉を袋詰めにし、「特級粉」の認定印をもらって世界中にばら撒いたのと同じだ。商品が小麦粉だけに全体量は膨大であり、パンからうどんまですそ野も広大だ。しかも、この「末粉」が水をかぶっていまだに腐り続けているのだから、パニックは終わらない。  UBSもこの小麦袋を大量に購入して、証券投資やデリバティブ取引を展開していた。さすがのオスペル会長も袋の中身にまでは思いが及ばなかったのだろう。UBSの決算報告を読んでも「リスク管理上の失敗」という記述はないし、改善策としてもトレーディングの規模を縮小することくらいしかコメントしていない。 高度な確率計算でもとらえきれない「未知の領域」  筆者が最も懸念するのは、オスペル会長ですら失敗したように、金融界における従来のリスク管理手法が破綻したのではないかということだ。  現在、世界の金融機関はVaR(バリュー・アット・リスク)とよばれる手法を軸に金融リスクを制御している。VaRは、現在保有している資産について、絶対金額としてどの程度の損失が生じる可能性があるのかを過去のデータをもとに、統計的に測定する指標である。  通常は、一定の条件下で「99%の確率」で収まるはずの最大損失額を測定する。確率論の世界だ。  高度なリスク管理を誇るUBSは、市場が変調をきたし始めた昨年後半から、この「一定条件」にストレスをかけて、いっそう厳格な運用を図ってきた。にもかかわらず、現実の損失はこの想定損失額をはるかに凌駕した。  UBSの投資銀行部門における昨年末のVaRは、6億1400万スイスフラン(10営業日ベース。ラフに換算すれば四半期ベースで√6倍した15億スイスフラン)だった。だが、実際の損失は次の四半期で190億スイスフラン(約1兆9000億円)と10倍以上に拡大した。  「1%の確率」でしか起き得ないことが起きたのだ。高度な確率計算をベースにしたVaRによる管理手法には大きな陥穽(かんせい)があったのだ。  逆にいえば、現在進行している金融危機は「1%の確率」以下でしか出現しない、測定不能の「未知の領域」に突入しているのだろう。

筆者には、新聞に掲載された「なぜだ」といわんばかりのオスペル会長の、当惑しつつも悄然(しょうぜん)とした顔写真がその象徴に思えてならない。  筆者は数年前に読んで感銘を受けたピーター・バーンスタインの「リスク」(日本経済新聞社)を読み直した。ここでは、そこからいくつか引用したい。 「リスク・マネジメントの科学は、古いリスクは制御できても、新たなリスクを生む場合がある。リスク・マネジメントへの忠誠心が、他の状況下では決して負いそうにもないリスクを負う勇気を与えてくれる。(中略)ヘッジのために用意されたデリバティブ商品も、投資家はチャンスとばかりにそれらを投機的手段と位置づけるようになり、どの企業のリスク・マネージャーも考えもしなかったリスクを巻き込むようになった」 「確率計算は未来を予測する上で重要な道具である。しかし、いわゆる悪魔はその細部、つまり確率推定における基礎をなす情報の質の中に潜んでいる」 「経済や金融の変数の多くが釣鐘型曲線に近い分布になるとはいえ、その図形は決して完璧な釣鐘型ではない。真実に似ていることと真実は同じではない。(リスクの持つ)野性はこういった異常値や不完全さの中に潜んでいる」  オスペル会長のみならず、世界の最先端を走る金融マンにとっては、いずれも胸にしみる言葉だろう。高度に発展した金融工学も、愚かな人間が開けた蟻の一穴で簡単に崩壊する。  今回のサブプライムローン問題は、人間が数字やコンピューターに振り回されて主客転倒してはならないという重要な警鐘である。各国政府はこれを契機にヘッジファンドやデリバティブなどオフバランス取引に対する規制を真剣に検討すべきだし、金融マンは拝金主義のモラルハザードに対する強い克己心を涵養すべきである。

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